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岩手和敬会の評議員に委譲されました [医療・福祉・介護の連携/病診連携・病病連携]
6月1日より,岩手和敬会の評議員に委譲されました.
とても光栄なことで,恐縮しております.
岩手和敬会,つまり和敬荘と,わたしたち中津川病院は特別な関係です.
いずれの創設者も三田家であり,和敬会と中津川病院は,いわば兄弟のような,双子のような,そんな密接な関係です.
和敬荘なき中津川病院はありえないし,きっと中津川病院なき和敬荘もまたありえないと信じています.
超高齢社会を迎え,ますます福祉と医療の融合が求められます.
岩手和敬会の評議員という立場を拝命し,和敬荘と中津川病院との有意義な融合を今後ますます進めたいと考えています.
とても光栄なことで,恐縮しております.
岩手和敬会,つまり和敬荘と,わたしたち中津川病院は特別な関係です.
いずれの創設者も三田家であり,和敬会と中津川病院は,いわば兄弟のような,双子のような,そんな密接な関係です.
和敬荘なき中津川病院はありえないし,きっと中津川病院なき和敬荘もまたありえないと信じています.
超高齢社会を迎え,ますます福祉と医療の融合が求められます.
岩手和敬会の評議員という立場を拝命し,和敬荘と中津川病院との有意義な融合を今後ますます進めたいと考えています.
お忙しいところ申し訳ありません... [プライベート]
「お忙しいところ申し訳ありません・・・」
最近,もっとも言われるフレーズの一つである.
社交儀礼として言っている方も多いが,本気で親身になってお話しされる方も多い.
もともとアポなしで来ていた方々も,相当気を使っている.
事前に連絡,しかもぼくに直接ではなく,間接的に事務などにぼくの状況を聞いてから来ているのだ.
あぁ~なんか申し訳ないな,と思う.
ぼくは常に開かれた存在だと思っているので,誰しも遠慮せず,気軽に話しかけてほしいと思っている.
しかし,実際は,周りは相当遠慮されているのだということが最近分かった.
確かに忙しい.
でも,ぼくはいつでもお話は聞きますので,皆様,どうぞお気軽に御相談下さい.
最近,もっとも言われるフレーズの一つである.
社交儀礼として言っている方も多いが,本気で親身になってお話しされる方も多い.
もともとアポなしで来ていた方々も,相当気を使っている.
事前に連絡,しかもぼくに直接ではなく,間接的に事務などにぼくの状況を聞いてから来ているのだ.
あぁ~なんか申し訳ないな,と思う.
ぼくは常に開かれた存在だと思っているので,誰しも遠慮せず,気軽に話しかけてほしいと思っている.
しかし,実際は,周りは相当遠慮されているのだということが最近分かった.
確かに忙しい.
でも,ぼくはいつでもお話は聞きますので,皆様,どうぞお気軽に御相談下さい.
青山和敬荘で看取りの勉強会で発表 [終末期医療]
今夕,青山和敬荘で,看取りの勉強会を行いました.
青山和敬荘を中心に,山岸和敬荘,浅岸和敬荘からも多くの職員が参加されました.
何を話そうか思いっきり悩んだ挙句,結局,ぼく自身の経験を発表することにしました.
患者さんとの思い出はたくさんありますが,そのうち悩みが深かった数名の患者さんの思い出を話しました.
想いがどのくらい伝わったかは分かりませんが,参加された皆さんが,看取りについて少しでも考えるきっかけになればいいと思いました.
今日の発表の最後に,終末期サポートとは「あなたとぼくの物語と物語の共鳴」とまとめました.
相手の物語を意識することは重要ですが,それと同時に自分の物語も受け止める必要があると思います.
それが,物語と物語の共鳴です.
青山和敬荘を中心に,山岸和敬荘,浅岸和敬荘からも多くの職員が参加されました.
何を話そうか思いっきり悩んだ挙句,結局,ぼく自身の経験を発表することにしました.
患者さんとの思い出はたくさんありますが,そのうち悩みが深かった数名の患者さんの思い出を話しました.
想いがどのくらい伝わったかは分かりませんが,参加された皆さんが,看取りについて少しでも考えるきっかけになればいいと思いました.
今日の発表の最後に,終末期サポートとは「あなたとぼくの物語と物語の共鳴」とまとめました.
相手の物語を意識することは重要ですが,それと同時に自分の物語も受け止める必要があると思います.
それが,物語と物語の共鳴です.
訪問リハビリのスタッフを増員 [リハビリ]
浅岸和敬荘から,一人の作業療法士さんが,中津川病院に出向となりました.
訪問リハビリのスタッフとして,早速大活躍いただいております.
これで,中津川病院の訪問リハビリの常勤スタッフは5名となりました(さらに2名が病棟との兼任).
思い返せば,昨年の3月末は,当院のリハビリスタッフは4名.
現在は11名と結構な大所帯です.
理学療法士4名,作業療法士5名,言語聴覚士2名の陣容です.
中津川病院は,強化型在宅療養支援病院として,在宅医療をしっかり支える病院を目指しています.
在宅医療を支えるためにはリハビリは最重要課題の一つです.
今後も,中津川病院はリハビリを頑張っていきます.
訪問リハビリのスタッフとして,早速大活躍いただいております.
これで,中津川病院の訪問リハビリの常勤スタッフは5名となりました(さらに2名が病棟との兼任).
思い返せば,昨年の3月末は,当院のリハビリスタッフは4名.
現在は11名と結構な大所帯です.
理学療法士4名,作業療法士5名,言語聴覚士2名の陣容です.
中津川病院は,強化型在宅療養支援病院として,在宅医療をしっかり支える病院を目指しています.
在宅医療を支えるためにはリハビリは最重要課題の一つです.
今後も,中津川病院はリハビリを頑張っていきます.
見送った後に,患者さんの物語を聞く [終末期医療]
未明に,超高齢の女性患者さんを見送った.
ぼくが患者さん宅に到着した時には,すでに息を引き取られていた.
とっても穏やかな表情をしていた.
呼吸が止まる寸前,一瞬大きく目を見開いて,大きな一呼吸をして,そのまま永遠の眠りについたらしい.
お子さん方は,両手をしっかり握っていたそう.
きっと,患者さんは,最期に一目見て,安心して,そして旅立たれたのだろう.
どんな人生でしたか?
さて,御家族と一緒に臨終を確認した.
死亡診断書を記載.
いつもなら,診断書を一緒に確認し,少しお話ししてすぐ帰るところである.
しかし,今回はしばし息子さんのお話を聞いた.
しばしどころか,気付くと2時間30分.
息子さんのこと,患者さんのことなど様々,たくさんの物語を聞いた.
患者さんの人生の物語をたくさんお聞かせいただいた.
実は,今回,お見送りした患者さんの物語は,ぼくは全くと言っていいほど知らなかった.
というのも.紹介を受けてからわずか数日で,旅立たれたからだ.
だから,今回の看取りは,一部モノクロだった.
しかし,息子さんの語りで,カラフルになった.
患者さんの人生の物語の一部を知ることができたからである.
終末期を支えるということは,その患者さんの物語を理解し,支えるということに違いない.
ぼくが患者さん宅に到着した時には,すでに息を引き取られていた.
とっても穏やかな表情をしていた.
呼吸が止まる寸前,一瞬大きく目を見開いて,大きな一呼吸をして,そのまま永遠の眠りについたらしい.
お子さん方は,両手をしっかり握っていたそう.
きっと,患者さんは,最期に一目見て,安心して,そして旅立たれたのだろう.
どんな人生でしたか?
さて,御家族と一緒に臨終を確認した.
死亡診断書を記載.
いつもなら,診断書を一緒に確認し,少しお話ししてすぐ帰るところである.
しかし,今回はしばし息子さんのお話を聞いた.
しばしどころか,気付くと2時間30分.
息子さんのこと,患者さんのことなど様々,たくさんの物語を聞いた.
患者さんの人生の物語をたくさんお聞かせいただいた.
実は,今回,お見送りした患者さんの物語は,ぼくは全くと言っていいほど知らなかった.
というのも.紹介を受けてからわずか数日で,旅立たれたからだ.
だから,今回の看取りは,一部モノクロだった.
しかし,息子さんの語りで,カラフルになった.
患者さんの人生の物語の一部を知ることができたからである.
終末期を支えるということは,その患者さんの物語を理解し,支えるということに違いない.
開運橋と北上川と岩手山 [自然]
久々に歩いて,開運橋を渡った.
幼稚園の頃,毎日のように通った橋である.
開運橋を渡り終わったあたりに歩道橋があり,そこもよく通った.
これまた久々に歩道橋を渡ってみたが,だれも渡らずぼくが独占できた.
幼稚園児の頃に見えた風景はこんな感じだったのだろうか.
幼稚園児目線と,大人目線で写真をとってみた.
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幼稚園の頃,毎日のように通った橋である.
開運橋を渡り終わったあたりに歩道橋があり,そこもよく通った.
これまた久々に歩道橋を渡ってみたが,だれも渡らずぼくが独占できた.
幼稚園児の頃に見えた風景はこんな感じだったのだろうか.
幼稚園児目線と,大人目線で写真をとってみた.
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PIPC岩手セミナーが開催される [研修]
本日、PIPC岩手セミナーが、岩手県医師会館で開催されました。
宮古で、PIPCいわてが開催されてからほぼ2年。
2年ぶりにPIPCが岩手に戻ってきました。
この間、東日本大震災が発生しました。
その影響もあり、心のサポートの重要性はますます増大しました。
その意味では、この時期のPIPCセミナーの開催は、まさに的を得たものでした。
さて、本日のセミナーは、総勢50名程度が参加され、大盛況でした。
相変わらずのエネルギッシュなファシリテーターの先生方に先導され、ついつい敬遠されがちな心療も、大いに楽しく学ぶことができました。
ぼくは、今回で4回目の参加になります。
2年前の宮古が最初で、以後はアシスアントとして参加しています。
基本的には、毎回同じコンテンツなのですが、これが不思議なもので、毎回新たな学びがあるのです。
もちろん今回も多くの深い学びがありました。
多くの皆さんにPIPCセミナーをお勧めします。
宮古で、PIPCいわてが開催されてからほぼ2年。
2年ぶりにPIPCが岩手に戻ってきました。
この間、東日本大震災が発生しました。
その影響もあり、心のサポートの重要性はますます増大しました。
その意味では、この時期のPIPCセミナーの開催は、まさに的を得たものでした。
さて、本日のセミナーは、総勢50名程度が参加され、大盛況でした。
相変わらずのエネルギッシュなファシリテーターの先生方に先導され、ついつい敬遠されがちな心療も、大いに楽しく学ぶことができました。
ぼくは、今回で4回目の参加になります。
2年前の宮古が最初で、以後はアシスアントとして参加しています。
基本的には、毎回同じコンテンツなのですが、これが不思議なもので、毎回新たな学びがあるのです。
もちろん今回も多くの深い学びがありました。
多くの皆さんにPIPCセミナーをお勧めします。
看取りの勉強会 [終末期医療]
来週の16日(水)に,青山和敬荘で,「看取りの勉強会」を予定している.
今,その発表資料を作っているだが,なかなかまとまらない.
何を話したらいいのか.
点滴や薬のことなどを重点的に説明すれば,看取りがいかにも技術や科学ということになりかねない.
だからといって,ぼくは死生学や宗教,哲学の知識もないので,死を語ることはあまりに恐れ多い.
看取りを語ることは,あまりに難しい.
ぼくは,看取りを,死ではなく,生という視点でみている.
いかに死ぬかを超え,いかに生き切るか,という考え方である.
その人の残された人生や日常,物語をしっかり支えることが,看取りだと信じている.
これまで,たくさんの方の死に立ち会ってきた.
鮮烈に記憶に残っている方から,申し訳ないがあまり記憶に残っていない方まで様々だ.
付き合いが深ければ深いほど,当然記憶に強く残る.
その人の人生や物語を知れば知るほど,記憶に深く刻まれる.
その人の物語と,ぼくの物語が絶妙に共鳴していく過程こそが大切なのではないかと,最近考えるようになった.
よい発表ができるかどうかは自信がないが,生や死について,真正面からあらためて接することができる良い機会となっている.
和敬荘以外の方で,勉強会にご興味がある方は,中津川病院の松嶋までご連絡をください.
今,その発表資料を作っているだが,なかなかまとまらない.
何を話したらいいのか.
点滴や薬のことなどを重点的に説明すれば,看取りがいかにも技術や科学ということになりかねない.
だからといって,ぼくは死生学や宗教,哲学の知識もないので,死を語ることはあまりに恐れ多い.
看取りを語ることは,あまりに難しい.
ぼくは,看取りを,死ではなく,生という視点でみている.
いかに死ぬかを超え,いかに生き切るか,という考え方である.
その人の残された人生や日常,物語をしっかり支えることが,看取りだと信じている.
これまで,たくさんの方の死に立ち会ってきた.
鮮烈に記憶に残っている方から,申し訳ないがあまり記憶に残っていない方まで様々だ.
付き合いが深ければ深いほど,当然記憶に強く残る.
その人の人生や物語を知れば知るほど,記憶に深く刻まれる.
その人の物語と,ぼくの物語が絶妙に共鳴していく過程こそが大切なのではないかと,最近考えるようになった.
よい発表ができるかどうかは自信がないが,生や死について,真正面からあらためて接することができる良い機会となっている.
和敬荘以外の方で,勉強会にご興味がある方は,中津川病院の松嶋までご連絡をください.
いつのまにか医師に・・・ [プライベート]
先日のふれあい看護体験で,高校生と交流していると高校生時代を思い出した.
今回参加した高校生は,将来は医療や福祉の仕事で頑張りたいという明確な目標があった.
純粋に立派だと思った.
というのも,ところで,ぼくは高校生の頃将来のことを真剣に考えたこともなかったから.
ぼくは,医師になりたいと本気で考えたことはない.
なんとなく,医学部に入学し,ぼやっとした6年間をすごし,通常の試験勉強として国家試験勉強を頑張り,合格して医師になった.
医師になりたいと本気で思ったこともなければ,どういう医師になりたいと真剣に考えたこともほとんどなかった.
ぼくは,歯科医師の父のもとで育った.
気付けば,将来は歯科医師になると決めていた.
「なりたい」というよりも「ならなければいけない」という表現が適切であった.
しかし,そんな運命的なものにも,なんとなく反旗を翻したいのが思春期である.
高校1年生の頃,文系・理系を選択する際,ぼくは躊躇なく文系を希望した.
物理,科学,数学が苦手科目だったこと,そして当時ジャーナリストにあこがれていたこと,が主な理由である.
こんな浅はかな考えを一瞬で変えたのは,当時の担任の先生だった.
先生との個人面談で,「まあ,理系に行った方がいいよ」と言われた.
先生はぼくの父が歯科医であることは知っていたから,それも後押しの理由だった.
ぼくはそんなもんかなあと思い,あっけなく理系へ.
案の定,理系科目が苦手なぼくにとって,2年生以降は大変だった.
こんなことブログでカミングアウトするのもなんだが,「代数幾何」の試験で0点だったときは,悲しかったというより自分の数学苦手さに驚きすら感じた.
もちろん赤点も結構あった.
そんなダメ高校生だったので,将来のことなど考えることもなかった.
ただ,浪人でもすれば,何とかなるかなと気楽だった(当時,冬物語という漫画を読んでいて,浪人も悪くないなと感じていた・・・).
3年生になって,進学先を悩んでいるときに,父が「医学部でもいいんじゃないか」と言った.
この一言が,ぼくの医師としての第一歩である.
ちなみに,父の一言といえば,高校受験の時もあった.
某高校を受験したいと思っていたのだが,このときも父が,「一高がいいんじゃないか」と言った.
ぼくは,「そんなもんかなあ」と思って志望校を変えたのだ.
こうやってみると,高校受験,文系・理系の選択,医学部受験のいずれも,ぼくは何一つ独断で決断はしてこなかった(というより他人任せだった).
今回の看護体験では聞かれなかったが,よく「なぜ医師になったのですか?」と質問されることが多い.
ぼくが医師になった経緯は上記のような流れだから,当然理由はない.
ただ誤解のないようにいえば,歯科医である父の影響は大いに受けていて,父のような医療人にはなりたいとずっと考えていた.
ところで,こんな「事なかれ主義」のぼくでも,唯一,自分で決断したことがある.
医学部卒業後の進路を,自治医科大学附属病院にしたことである.
決断の時,父はあまり多くを語らず,母は泣いた(地元に残ってほしかったらしい).
母の涙はつらかったが,今思えば,最高の決断だったと自負する.
人生とは分からないものだ.
でも,結局,これが運命だったのかもしれない.
今思うと,医師という職業は,ぼくには合っているとつくづく感じているから.
ちなみに,幼稚園の卒園誌には,「将来やりたい仕事は?」という質問に,ぼくだけ「分からない」と答えている.
かわいげないといえばその通りだが,現実主義といえばまたそのとおりである.
いずれ,5,6歳の幼少期から,何も考えていなかったんだ・・・.
今回参加した高校生は,将来は医療や福祉の仕事で頑張りたいという明確な目標があった.
純粋に立派だと思った.
というのも,ところで,ぼくは高校生の頃将来のことを真剣に考えたこともなかったから.
ぼくは,医師になりたいと本気で考えたことはない.
なんとなく,医学部に入学し,ぼやっとした6年間をすごし,通常の試験勉強として国家試験勉強を頑張り,合格して医師になった.
医師になりたいと本気で思ったこともなければ,どういう医師になりたいと真剣に考えたこともほとんどなかった.
ぼくは,歯科医師の父のもとで育った.
気付けば,将来は歯科医師になると決めていた.
「なりたい」というよりも「ならなければいけない」という表現が適切であった.
しかし,そんな運命的なものにも,なんとなく反旗を翻したいのが思春期である.
高校1年生の頃,文系・理系を選択する際,ぼくは躊躇なく文系を希望した.
物理,科学,数学が苦手科目だったこと,そして当時ジャーナリストにあこがれていたこと,が主な理由である.
こんな浅はかな考えを一瞬で変えたのは,当時の担任の先生だった.
先生との個人面談で,「まあ,理系に行った方がいいよ」と言われた.
先生はぼくの父が歯科医であることは知っていたから,それも後押しの理由だった.
ぼくはそんなもんかなあと思い,あっけなく理系へ.
案の定,理系科目が苦手なぼくにとって,2年生以降は大変だった.
こんなことブログでカミングアウトするのもなんだが,「代数幾何」の試験で0点だったときは,悲しかったというより自分の数学苦手さに驚きすら感じた.
もちろん赤点も結構あった.
そんなダメ高校生だったので,将来のことなど考えることもなかった.
ただ,浪人でもすれば,何とかなるかなと気楽だった(当時,冬物語という漫画を読んでいて,浪人も悪くないなと感じていた・・・).
3年生になって,進学先を悩んでいるときに,父が「医学部でもいいんじゃないか」と言った.
この一言が,ぼくの医師としての第一歩である.
ちなみに,父の一言といえば,高校受験の時もあった.
某高校を受験したいと思っていたのだが,このときも父が,「一高がいいんじゃないか」と言った.
ぼくは,「そんなもんかなあ」と思って志望校を変えたのだ.
こうやってみると,高校受験,文系・理系の選択,医学部受験のいずれも,ぼくは何一つ独断で決断はしてこなかった(というより他人任せだった).
今回の看護体験では聞かれなかったが,よく「なぜ医師になったのですか?」と質問されることが多い.
ぼくが医師になった経緯は上記のような流れだから,当然理由はない.
ただ誤解のないようにいえば,歯科医である父の影響は大いに受けていて,父のような医療人にはなりたいとずっと考えていた.
ところで,こんな「事なかれ主義」のぼくでも,唯一,自分で決断したことがある.
医学部卒業後の進路を,自治医科大学附属病院にしたことである.
決断の時,父はあまり多くを語らず,母は泣いた(地元に残ってほしかったらしい).
母の涙はつらかったが,今思えば,最高の決断だったと自負する.
人生とは分からないものだ.
でも,結局,これが運命だったのかもしれない.
今思うと,医師という職業は,ぼくには合っているとつくづく感じているから.
ちなみに,幼稚園の卒園誌には,「将来やりたい仕事は?」という質問に,ぼくだけ「分からない」と答えている.
かわいげないといえばその通りだが,現実主義といえばまたそのとおりである.
いずれ,5,6歳の幼少期から,何も考えていなかったんだ・・・.
ふれあい看護体験 [中津川病院]
5月10日(木)に,看護協会が企画する「ふれあい看護体験」というものがあった.
中津川病院にも,3名の高校生がやってきた.
女子2名と男子1名である.
いずれも,看護師さんの制服を着徴してもらった.
女子2名は,今では当院では着用していないナースキャップをつけた(これがまた初々しい).
病院や施設を見学し,実際に患者さんと触れ合ってもらったり,盛りだくさんの1日になったようだ.
今回参加された3名は,いずれも医療や福祉の世界で働きたいという.
今回の体験が3名の将来に役立ったくれることを願っています.
今回も研修委員会が頑張ってくれた.
感謝します.
中津川病院にも,3名の高校生がやってきた.
女子2名と男子1名である.
いずれも,看護師さんの制服を着徴してもらった.
女子2名は,今では当院では着用していないナースキャップをつけた(これがまた初々しい).
病院や施設を見学し,実際に患者さんと触れ合ってもらったり,盛りだくさんの1日になったようだ.
今回参加された3名は,いずれも医療や福祉の世界で働きたいという.
今回の体験が3名の将来に役立ったくれることを願っています.
今回も研修委員会が頑張ってくれた.
感謝します.
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